愛と性のツインレイセラピー

心とからだを解放し、真実の姿で輝くあなたに♡

パートナーの愛にサレンダーする

どれだけ

「愛を与えるは素晴らしいこと」だと聞いても

実際にそうだと思って実践しても

結局のところ、「愛を受け取る」ことなしでは

人は生きてはいけないものなのだと

感じています

 

それは、

そもそも人間という存在が有限だから

神様や天使といった

肉体を持たない存在ならば

「無償の愛」を表現するのも

容易いのだけれど

肉体を持った存在に限っては

そうはいかないのだと思うのです

 

与えてばかりでは

いつかは枯渇してしまう

受け取って、与えて、受け取って、また与えて・・・

という

相互に愛を分かち合うことこそが

実は、

素晴らしい愛の循環を生み出していることに

他ならない

 

 

でも何故か

「愛を受け取る」立場

「愛される」側は

弱くて劣っているような感じがしてしまう

与える側が優っているという

無意識の概念があるような気がします

 

 

だから

本当に愛されそうになると

逃げたくなる

 

 

本当は

愛を無性に乞いたくなる

嫌われて見捨てられてしまうのを

恐れている

愛に飢えたわたしがいて

「わたしを愛しつづけてほしい」って

切に願っているのに

 

そこに蓋をしてしまいたくなる

そんなじぶんから目を逸らしたくなる

 

そんな弱弱しいわたしなんて見たくない!

彼にも知られたくない!!

 

でも、無残にも

パートナーの彼は

奥にしまっておいた弱弱しいわたしの存在を

見透かして

愛そうとしてくる

 

 

わたしが愛せないじぶんを

誰かに、ましてや愛しているパートナーに

見つかってしまうこと

しかも、愛されてしまうことは

酷く恐ろしいことなのに・・・

 

だから、

彼に愛されないように

距離をつくってしまう

「来ないで!見ないで!」って

拒絶したくなる

 

 

でも、勇気を持って

その、弱弱しいわたしに向き合ってみたら

堰を切ったように流れる涙とともに

彼の愛で癒されていくのがわかるんです

 

love-twin0918ray.hatenablog.com

 

決して

弱弱しいわたしを

埋めるように愛するのではない

弱弱しいわたしごと

包み込むように愛してくれている

 

それはまるで

神の愛のようだと感じたんですね

 

 

「大変だったね」とか

「大丈夫だよ」とか

「怖がらなくていいよ」とか

そういう言葉すら

陳腐に感じるほど

ただ、そのままを、抱きしめてくれてるような

そんな愛

 

「嫌われてしまうんじゃないか?」

「いつか見捨てられてしまうんじゃないか?」

「独りぼっちになってしまうんじゃないか?」

と怯えていることさえも

愛されてしまうから

もしかしたら

その大きすぎる愛に

恐れおののいていただけなのかもしれない、と

感じてしまうほど

 

 

それくらい

パートナーの愛は

大きくて深いです

 

 

その愛の前では

ひとりの小さな少女になってしまったかのようで

それが何だか

敗北感や屈辱感を感じてしまうことも

時にはあるけれど

それでも

愛されてしまうことをゆるしていったらいいのですね

 

彼の愛にサレンダー(降伏)する

 

彼の愛を信頼し

その愛を受け容れることも

また

「愛すること」に他ならないのですから・・・

 

 

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