愛と性のツインレイセラピー

心とからだを解放し、真実の姿で輝くあなたに♡

好き♡をまっすぐに解放する女性はかわいい

3月に入りました^^

今日は「桃の節句」、ひなまつりですね🎎

 

空気はまだまだ冷たくて寒いし

冬って感じだけれど、

何となく

春の匂いがしています

 

夜の空気も

風の匂いも

どこかやわらかくて

ふわっと優しい感じがします

 

 

わたしの気持ちも

少しずつ春に向かっている気がしていて

今までだと

どこか仄暗さがあったのだけれど、

もともと抱えてきた

寂しさとか孤独感とかを

受け容れられるようになってからは

ただ純粋な「好き」という気持ち

「ほしい」という想いを

まっすぐに見つめられるようになった気がしています♡

 

聴きたい曲の趣味も変わっていて

今は

TommyFebruaryとかCharaとか

根っこが明るくハッピーな感じのものを

よく聴くようになりました♡

 

 

Tommy feburary6 とか懐かしい!!

ってじぶんでも思うのですが(笑)

ちょうど流行っていたあの頃、

あの気だるさで

「好き♡」をストレートに表現してるところに

すごく惹かれて

ずーっとリピートして聴いていたっけ♪

 


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アンニュイなのにストレートな愛の表現するっていう

ギャップが可愛いのって

そういえばCharaもそんな感じだなって

今気づいちゃったのだけれど(笑)

 

結局のところ、

ストレートに「好き♡欲しい♡」って言える女性って

いくつになっても可愛いし

憧れる存在だし

わたし自身も見習いたいなって思うところです^^;

 


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ちょうど、冬から春になろうとする

この時期にCMで使われていた気がするのだけれど

わたしのなかで

好きな曲のひとつになっている

『FANTASY』

 

この曲を聴くと

わたしのなかの“何か”が芽吹く感覚を

いつも感じるんです

 

女性性がひらくのかな^^?

楽しみです♡

 

 

 

 

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みんなのうたとノスタルジー

子どもの頃から

みんなのうたが好きで

今でも

あの頃に流れていた曲を思い出しては

聴いていたりします

 

 

よくよく振り返ると

わたしが好きだった歌って

やっぱりどこか

センチメンタルなものが多いというか

『恋するニワトリ』も

可愛いけれど切ないし

『赤鬼と青鬼のタンゴ』とか

楽しいけれどメロディー切ないし

 

でも、一番びっくりするのは

終りのないような

底が知れない

得体の知れない感覚がする

少し不気味にも思えるようなものが

結構好きだったこと

『まっくら森の歌』とか

『なつやすみのおさかな』とか

 

 

『なつやすみのおさかな』は

ここ数日、急に脳内を流れはじめたので

久しぶりに聴いてみてるのですが

何だろう・・・

ここにはないどこかに

ふるさとがあって

そこに恋焦がれて

毎日を過ごしているような

そんな気持ちにさせられちゃうんです

 

もっと言えば、

これ聴くと

何故か知らないけれど

絶対知らないはずの

彼の少年時代が浮かぶんです

 

わたしたちって

切なさでつながっていたんじゃないか?ってくらい

 

そのからっぽなところを

感じさせてくれる

そんなうたに

無意識に惹かれちゃって

とりこになっちゃって

気づいたら

ずっと聴いていたって感じ

 

 

センチメンタルとか

切なさに陶酔しているのも

きっとよくないのだろうなぁと思いながらも

でもきっと

わたしの半分はこれでできてる気もして

それを感じることで

水を得た魚のように

生き返るような気もするんです

 

だから

大事にしたいなと思う

そういう

子どもの頃からの

センチメンタルに惹かれてしまう

わたしのことも

 

 

 

 

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わたしの「まめちゃん」と優しい世界

このところ、

いろんなことが一気にやってきて

気持ちが忙しない日々を過ごしていました^^;

 

ある出来事が起こったとき

その瞬間は

ネガティブなことだと落ち込んだり

悲しんだりすることがほとんどだし、

「何でこんなことが起こっちゃったのだろう?」と

途方に暮れて、嘆き悲しんだりしちゃうんだけれど、

何故か

「大丈夫な気がする」っていう

直観みたいなものが根底に感じてしまうと、

ネガティブさはどこへやら?

急にポジティブになっちゃったりするから

不思議だなぁ、って思うんです(笑)

 

確かに、

その起こった事実がネガティブなことであればあるほど

落ち込んだり悲しんだりする

それは人間として生まれてきてる以上

仕方ないことだと思うんですよ

先なんか考えられないし、

出来事そのものを見たら

「わたしには運がないんだ・・・」とか

「なんて不幸なんだー!!」とか

そりゃあ、嘆きたくもなるってもんです

 

 

だけど、

一見するとネガティブな事でも

実はすごい意味があって起こっていて

そこに気づけたら

その出来事さえも、

わたしの背中を押してくれるためのものでしかなかったんだ!!

ということがわかってくる

どんな事が起こっても

じぶんの背中を押してくれるものでしかない

ということが

出来事の根底に

絶対的な真実として

そこに流れているんですよね♡

 

ここ数日もの間

起こってきたものは

ショックなこととか悲しいこととかだったけれど

逆にそれがなかったら

たどり着けなかった境地があったし、

それがあったからこそ

じぶんに課してたものを外すことができました

 

 

たとえば、

初めて号泣する姿を家族に見せることができて

そして、弱音を吐くことができた

本当は一人暮らしが苦手だった、と気づくことができた

周りに頼ることができた

 

ざっと挙げただけでも

これだけのことが

実は今まで全然できてなくて、

しかも、うん十年以上生きてきて初めてできて

わたしにとっては

生まれ変わったように

すごい変化だと感じています(笑)

 

 

一人で頑張ってる感覚が抜けなくて

むしろ頼ってもらえるように

虚勢張っていた

そんなわたしにさえ、

「大丈夫?」と声を掛けてくれたり

話を聞いてくれたり

一緒に過ごしてくれた

そんな人たちに恵まれていたこと

ツラい状況で

「こんな感じでまともにセッションできるかな?」

なんて思っていたのに

何故か、クライアントさまたちからのオファーを

たくさんいただいて

お陰で、忘れられるくらい楽しく過ごせたこと

 

実は、支えてもらっていたのはわたしの方だったのかもしれない

って思ったら

「あぁ、世界ってなんて優しいんだろう」

って、心の底から思えたし

安心感でからだが緩みました♡

 

ちなみに、そのときふと、じぶんの顔を見たら

たれ目になっていて・・・♡

きっとこれが本来のわたしの顔なんだなぁって

実感した瞬間でした^^

 

 

支えていたつもりで

実は、わたしもいろんな人に支えてもらって

今まで生きていた♡

本当はひとりじゃなかった

ひとりだ、と思っていたのは

どうやら、わたしの内側だけだったみたい(笑)

 

でもそれも本当は

わたし自身が

本当のわたしを見せたくなかっただけなのかもしれない

 

だって本当のわたしは

一人暮らしが大の苦手で^^;

夜道を一人で歩くのも

平気なフリしてたけど

本当は怖くて仕方なくて^^;

夜寝るのも

誰かの気配を感じていないと

安心してぐっすりなんて眠れなくて^^;

ちょっとした音にも

「びくっΣ(゚Д゚)」

ってしてしまうほど

めちゃくちゃ敏感体質だから^^;

 

その敏感体質を持ったわたしの

等身大は

小豆大の「まめちゃん」くらいのサイズ(笑)

普通に考えても

「まめちゃん」のままじゃ

世間を渡り歩いていける気がしないものね^^;

 

 

でも、

そんなわたしをさらけ出しても

大丈夫な世界がちゃんとあるってわかったから

これからは

虚勢張らずに

「まめちゃん」サイズで(笑)

このままのわたしで

支えてもらいながら

わたしも支えて

日々を過ごしていきたいと思っていますし、

今はまだ足踏みだけれど

その姿を彼にもどんどん見せて

一緒に生きていきたいと思います♡

 

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忘れられない彼への想い

彼にはじめて触れたとき

それまで感じたことのないような

ほわっとした感覚がして

それがすごーく気持ちいいというか

心地よくて

「なんでこんなに気持ちいいの?」って

ずっと彼の肌をぺたぺた触っていた

 

ずっとそれが忘れられなくて

その感覚で

「この人はわたしのなんだ」

って確信した

 

 

頭では理解できないこと

ブレーキがかかりそうなことがあっても

じぶんの

あのとき感じた感覚だけを信じて

ずっと彼と向き合い続けてきた

 

頭よりも

からだの感覚

わたしの直感

それをなるべく選ぶようにしてきた

 

それでいいと思う

バカになってしまったんじゃないか?ってくらい

彼しか見えなくても

彼を追いかけて突っ走っても

執着も

依存も

 

たぶん、

「この人はわたしのなんだ」って感じたときから

もうずっと執着してるし

その感覚に依存してる

 

でもそれしかない

それしか欲しくない

 

なんだかもう

それでいいんだなって思った

今日この頃

 


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「ツインレイの愛」は、今までの「痛み」が根こそぎ癒されてしまう「愛」

2月に入りました

 

「2024年は風の時代が本格化する」

と、言われるだけのことはあって

わたしだけじゃなくて

まわりの人たちやクライアントさまたちのなかでも

何やら忙しない

何かしら動きがある感じ

そんな印象を受けています

 

 

先日、“ツインレイブルー”について

書きました

love-twin0918ray.hatenablog.com

 

結局のところ、

幸せから逃げたくなるのって

その幸せを感じてしまうと、

今まで感じてきた痛みが再浮上してくるから

そこから逃げたくて仕方ない

という、衝動が隠されてるんだなって

身を持って感じたんです

 

 

その痛みさえも

癒やされてしまうのが

「ツインレイの愛」

どうしても

光が強ければ

その反対の闇も

濃く出てきてしまう

 

ただそれだけ

 

 

わたし自身のことを話すと

家庭環境がよくなくて

常に淋しさを抱えていたのだけれど

その淋しさを抱えていること自体を

無いものにしたくて

感じないように

誰かに愛を与える、というのを

必死にやってきたんですね

 

そうすることで

淋しさという「痛み」を感じなくて済むし

何より、

それを持ち続けているじぶんを

見なくて済むから

 

ただ、

「ツインレイ」というものは

その「痛み」を根こそぎ癒すほどの

大きくて深い愛なんです

それに出逢ってしまったら、

「痛み」を麻痺させてきたことにも

当然、向き合わざるを得ないし、

どれだけ

じぶん自身が「痛み」を抱えてきたのか?

ということを

直視しないといけなくなる

 

それがしんどくて

逃げたくなるっていうのを

何度もやってしまうんですよね^^;

 

きっと、

“ツインレイブルー”も

それなんだろうと・・・

 

でも、“ツインレイブルー”は

いよいよ集大成っていう感覚があって、

本当に、本当に、

ふたりがひとつの道を歩み始めるときに

おとずれるもの

じぶん自身のコアの「痛み」と

そこから生まれた欲求に向き合うタイミングで

感じるもののような気がするのです

 



これでもう

その「愛」を拒絶することはできなくなる

何故なら、

それは「愛」のせいじゃなくて

わたしがわたしを誤魔化してきたから

そしてもう、

誤魔化せないところまできてしまったから

 

 

「ツインレイの愛」で

隠しとおしてきた「痛み」を

感じざるを得なくなっても

そこに向き合えば

本当に欲しかったものがわかる

そして

本当はずっとそれが与えられてきたこともわかる

 

恐れてもいい

どうか、とどまらないで

そのまま

堕ちていってください

その先に

「ツインレイの愛」が

花ひらきます

 

 

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“ツインレイブルー”ってやつ

ここ1,2年くらいかな

いわゆる“マリッジブルー”ならぬ

”ツインレイブルー”のようなものが

あるのではないか?と

感じるようになったんです

 

 

あまりに幸せすぎて

その先の幸せが近づいてくると

「本当にこれでいいの?」と

疑心暗鬼に陥ってしまう

(正確には、自ら陥ろうとしてる

何なら

「別にこのままでも良くないか?」と

現状を維持してしまいそうになる^^;

 

恐らく、

マリッジブルーの正体ってこんな感じだと思うのですけれど

ツインレイの関係性でも

おんなじ状態になるときあるよなぁって

実感しているんです

 

 

「こんなに愛されちゃっていいの?」

とよろこびもつかの間、

さらなる幸せが向こうからやってくると

逆に怖くなって

拒絶したくなる、アレ、です

 

 

わたし自身は

彼との関係性が前に進もうとするタイミングで

それを感じやすくて・・・^^;

そのたびに、彼と距離をとりたくなったりするので

「いかんいかん!」と思って

じぶんを客観視して

じっくり向き合うようにしているのですけれど

そのたびに思うんです

「やっぱりツインレイにもあるよね、”マリッジブルー”的なやつ」

って^^;

 

 

でも、ずっとそれをしていると

さすがに、彼から警告が出されてしまうので

注意が必要ですね

 

結局のところ

“ツインレイブルー”は

浸るものじゃなくて

越えるもの

なぜなら、幻想だから♡

 

本当に欲しいものだけを

しっかりとらえて

彼だけを見て

進んでいったらいいんですよね♡

 

 

幸せから逃げるのは

もう辞めて

そろそろ

幸せになる覚悟を決めましょう♡

 

 

 

 

 

 

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「ただ存在する」がわからなかった

わたし、以前

こんな記事を書いていました。

love-twin0918ray.hatenablog.com

 

ツインレイ女性のあいだでも

イヴ寄りで生きてきた人と

リリス寄りで生きてきた人によって

歩むルートは違ってくる

 

それぞれが反対側の自身を受け容れたら

パートナーともひとつになっていく

 

記事ではそんな感じのことを書いていたのですが・・・

 

イヴって

「ただ存在する」という表現が

一番しっくりくる女性

という感じがしていて、

「イヴ」という存在そのものが

もう既に、アダムに愛されている

そういう

女性のなかの女性

の象徴のような存在なのだと思うんです

 

 

でも、

現代の女性って

そういう

「イヴ」が自然と感じられていたはずの

“安心感”を感じられずに

いつもどこか不安を抱えながら生きているような

そんな気がしてならないのです

 

それはわたし自身も然り

 

 

いつから

そんな肚の底からくる

絶対的な安心感を

感じられなくなったのだろう・・・

どこで

それを置いてきてしまったのだろう・・・

 

 

そう感じざるを得ないくらい

「ただ存在する」ということがどういうことなのか?

わからなくなっていたのですね

 

「ただ存在する」だけで愛されている

ってどういうことなの?

って・・・

 

 

存在自体に

価値を見出せていない

 

平たく言えばそうなるのかもしれないけれど

でも

そういうのともちょっと違う

価値があるとかないとか

そういうところの話じゃない

わたしのいのちが

誰かの愛する対象であることに

揺るぎない安心感を覚えるのだと思う

 

その安心感こそが

わたしたち女性が求めている

真の悦びのような気がしてならないんです

 

 

その愛が

わたしに向けられ続けること

絶えることなく

ずっと注がれ続けることこそが

絶対的な安心であり

唯一無二の悦びである、と

 

 

あまりにも

何かをしなければ

形を残さなければ

求められすぎていた

いいえ、

じぶんで

自身を追い詰めすぎていたのかもしれません

 

でも

そこから抜けるときがきたんです

 

本当に欲しいものは

身体の奥底から広がってくる

絶対的安心感

「ただ存在する」ことの悦び

そのままで愛される悦び

 

それが掴めたならば

もう、向かう場所はひとつ

 

「ただ存在する」がわかった

わたしがいる未来

 

 

 

きっとこれからどんどん

そういう女性が目覚めていく

イヴのように

女性としての悦びに目覚めた人たちが

増えていくでしょう

 

「ただ存在する」ことへの安心感を知った人たちが

パートナーに出逢い、

あるいは、パートナーと親密になっていくと

この世界はどうなっていくのか?

これからが楽しみですね♡

 

 

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